神様が住まう所
諸説はありますが、登山が始まったのは縄文時代からと言われています。山には山菜や動物が沢山あったので、当時は「趣味」よりも生きるためが目的だったのでしょう。
山は危険がいっぱいです。今であれば情報ツールが発達していることもあり、どこにどういう危険があるのかはわかります。雨が降る時刻や、雷の動向も全て把握できるでしょう。しかし縄文時代となると、全くわかりません。雷が落ちれば「山の神様が怒ったもの」と、捉えたはずです。「山の神様の怒りだ」と当時の人が思った証拠はありませんが、根拠はあります。
山に神様がいる根拠
長崎には山そのものが御神体になっている神社があります。もし最初から、雷は雷雲が引き起こしたものと把握していたら、山がご神体になっている神社は出てこなかったでしょう。また修験道の修行場となっているのも、山です。
とはいえ、科学技術が発達した今も神さまを信じている人は少なくありません。科学絶対の科学者で超常現象の類を全て否定している人であっても、神社に足を運びます。
神社は人々の支え
神社は神さまを祀る場所であると同時に、人々の支えとなっていたのです。地域によっては、避難所として使われる神社もございます。避難所といえば学校を想像するでしょうが、学校は無限大数にある訳ではありません。避難できる人数に限りがあるのです。そこで神社を避難所として使うことにより、1人でも多くの人を助けようというのです。
また神社は昔から、地域を取りまとめていた歴史的な事実があります。科学技術が発達しても、神社は心の拠り所になっているのです。
外国人も魅了する神社
神社に魅了されたのは、日本人だけではありません。宗教も文化も全く違う外国人も、大勢神社に足を運んでいます。神社は「日本」を間近で感じられる場所であると同時に、神秘的な雰囲気が漂っているからでしょう。
神様を信じるか信じないかは、個人の自由です。でも神社に足を踏み入れば神聖な気持ちになり、背筋が伸びる思いがします。何か悩みがあるのなら、神社に訪れてみて下さい。